tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『ニッポン硬貨の謎 エラリー・クイーン最後の事件』北村薫


ミステリ作家にして名探偵エラリー・クイーンが出版社の招きで来日、公式日程をこなすかたわら、東京に発生していた幼児連続殺害事件に関心を持つ。同じ頃アルバイト先の書店で五十円玉二十枚を千円札に両替する男に遭遇していた小町奈々子は、クイーン氏の観光ガイドを務めることに。出かけた動物園で幼児誘拐の現場に行き合わせるや、名探偵は先の事件との関連を指摘し…。

エラリー・クイーンが来日した際に見聞きしたさまざまな事柄を題材に「国名シリーズ」のひとつとして書かれた未発表原稿が発見され、それを北村薫さんが翻訳することになった…。
これが本書の「設定」。
実際にはそのようなクイーンの未発表原稿は存在しません。
北村さんがクイーンになりきって書いたミステリを、あたかも自分が翻訳したかのような体裁に仕立て上げているということです。
日本人が書いた文章なのに日本の文化に対する描写が日本人の感覚からするとちょっとおかしかったり、詳細な「訳注」がついていたりします。
文体もいわゆる翻訳調に近く、英語っぽい言い回しが随所に見られたりして、北村さんは実際にある程度英語の「原文」も作ったのではないかと思うほど、本物の翻訳ものっぽく仕上がっています。
その分、少々読みづらい部分があるのも否めませんが、よくここまで意図的に翻訳ものっぽく仕上げたものだと感心させられました。
北村さんは元は高校の国語教員ですし、英語が専門ではなかったはずですが、クイーン(もちろん他の海外ミステリも)への愛が高じてかなりの量の原書も読まれたのではないかと思います。
そうでなければここまで完璧な「クイーン風」の文章は書けないでしょう。
実際、作中に登場するシェイクスピアをはじめとする欧米の古典文学からの引用の多さは、北村さんの読書経験が広範囲にわたっていることを示していると思います。
私も英文学専攻ではありませんでしたが一応英文科出身なので、『トリストラム・シャンディ』の「作中人物を追悼する意味で挿入された真っ黒に塗りつぶされた1ページ」って確か大学の英文学史の授業で出てきたなぁなんていろいろ懐かしく思い出せる部分もありました。


そうした趣向も面白いのですが、やはりこの作品は本格的な「クイーン論」としての側面が強いと思います。
普通のミステリとして楽しめなくもないのですが、『シャム双子の謎』においてなぜ「読者への挑戦」が脱落していたのか?というクイーンの作品そのものに対する謎を論じる部分が圧倒的に面白いのです。
正直なところ、クイーンは学生時代に何冊か読んだけどほとんど内容を忘れてしまった…という私にはついていけない部分も多く、この作品を読み始めたのは失敗だったかとも思いました。
それでも、『シャム双子の謎』について北村さんが本書のヒロイン小町奈々子の口を借りて論じる内容は、とても論理的で説得力があるということは分かりました。
普通に論文として発表しても通用しそうなほどです。
北村さんの代表作とも言える「円紫さんと私シリーズ」の第4作目、『六の宮の姫君』も、あれは立派な芥川論でした。
主人公「私」が大学の卒業論文のために芥川龍之介の『六の宮の姫君』という作品の謎を読み解いていくという物語は、それが本格的な日本文学論であるだけでなく、きちんとミステリとしても成立していました。
『六の宮の姫君』、そして『ニッポン硬貨の謎』を読んで私が思ったのは、北村さんにとっては文学やミステリ作品を読み解く行為そのものがミステリなのだろうということでした。
そうして考えてみると、文学に限らず他のあらゆる学問はミステリだと言えるのかもしれません。
未解明の事柄について、さまざまな関連資料や情報やデータを集め、それが一体何であるかを筋道を立てて論理的に解明していく…まさに本格ミステリそのものではないでしょうか。
私たち人間の文化や技術や生活も、全てはそうしたミステリによって成り立っているのかもしれない、などと考えると、ミステリ好きとしてはワクワクしてきます。


他にも若竹七海さんが出した「五十円硬貨二十枚の謎」についての北村さんの解答も含まれており、本格ミステリへの愛があふれる作品です。
もう少し私がクイーンを読んでいればもっと楽しめたのかもしれませんが、北村さんのクイーンへの、そして本格ミステリへの情熱に触れることができてうれしく思いました。
☆4つ。