tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『虚空の旅人』上橋菜穂子

虚空の旅人 (新潮文庫)

虚空の旅人 (新潮文庫)


隣国サンガルの新王即位儀礼に招かれた新ヨゴ皇国皇太子チャグムと星読博士シュガは、〈ナユーグル・ライタの目〉と呼ばれる不思議な少女と出会った。海底の民に魂を奪われ、生贄になる運命のその少女の背後には、とてつもない陰謀が――。海の王国を舞台に、漂海民や国政を操る女たちが織り成す壮大なドラマ。シリーズを大河物語へと導くきっかけとなった第4弾、ついに文庫化!

シリーズ1作目の『精霊の守り人』で精霊の卵を身に宿すという数奇な運命に見舞われ、女用心棒のバルサに救われた新ヨゴ皇国の皇太子・チャグムが主人公の「旅人シリーズ」は、「守り人シリーズ」の番外編的な位置づけとされています。
けれども「番外編」という言葉だけでは片付けられない、「守り人シリーズ」と密接な結びつきを感じさせる作品で、読み応えはたっぷりでした。


シリーズを1作目から続けて読んでいる読者としては、何よりもチャグムの成長ぶりがうれしいです。
精霊の守り人』では、その賢さの片鱗を見せながらも、まだ頼りなく、幼く、バルサやタンダに守られていた一人の子どもに過ぎなかったチャグム。
その彼が、この『虚空の旅人』では、将来帝になる身として、自分の頭で物事を考え、行動し、周りの人々や自らの立場にも心を配っている姿を見せてくれ、とても頼もしく、うれしく思いました。
チャグムがまだ14歳の少年でありながら、そんな風に立派な皇太子として成長しているのには、バルサやタンダたちと過ごした時間が大きく影響していると思います。
だからこそ、バルサたちが実際には登場しない番外編的な位置づけのこの作品においても、バルサたちの存在感は皆無ではなく、むしろ大きく感じられるのです。
そして、バルサたちから教わった大切なことを胸に、チャグムは本作にて世界の勢力図すら変えようとする大きな陰謀が渦巻く事件に巻き込まれ、立ち向かい、その中でさらに大きく成長するのです。
バルサたち下の身分の者たちと過ごした経験から、冷酷な現在の帝である父とは違って民を思いやる心をすでに兼ね備えていたチャグムですが、彼はこの作品の中で初めて国同士の戦の片鱗を経験し、その中で兵士たちが血を流し、倒れていくのを目の当たりにしました。
普通、戦争の指揮官たる君主は、実際の戦場を自らの目で見ることはないでしょう。
だから彼らにとって兵士は、自分の考えた戦略に沿って配置し、動かし、戦わせる駒でしかない。
けれどもチャグムは「駒」である兵士が戦いの場においてどのような運命をたどるかを自分の目で見ることになりました。
こうして皇位継承者として貴重な体験をしたチャグムは、自らの国を「兵士が駒のように死なない国に」したいと言います。
チャグムのそんな優しさと強い決意がうれしくて、涙が出ました。
そんなチャグムを補佐する星読博士のシュガも、『精霊の守り人』の時とはかなり印象が変わっていて、彼も確実にチャグムと共に成長しているのだということが感じられました。
チャグムとシュガがこれからどのように新ヨゴ皇国を守っていくのか、今後のシリーズの展開に目が離せません。


今まではバルサを中心にして、さまざまな人々の過酷で数奇な人生や運命を描いたドラマという印象が強かったこのシリーズですが、本作はずいぶん政治色が濃くなって、大河ドラマの様相になってきました。
南の軍事大国が北方への進出をもくろみ、やがては世界中を巻き込む戦いになっていくであろうことがこの作品で示唆されています。
そして、この歴史を大きく動かそうとしている流れの中に、チャグムもバルサもいずれ否応なく飲み込まれていくのだろうなということも予想がつきます。
世界全体に舞台が広がるということは、国によってさまざまな文化や思想、政治的思惑やそれぞれの国の立場の違いなどが今後物語に大きく関わってくるということだろうと思います。
この作品では新ヨゴ皇国と、海に面した漁師や海賊たちの国サンガル王国との違いがしっかりと描かれていました。
それがまた、現実の私たちが生きるこの世界の国際関係と重なって見え、ファンタジーの世界とは思えないリアリティのある世界観がさらに強固なものとなっています。
そうした国際政治の世界に、異世界の接近がどう重なってくるのか、またバルサやチャグムはその中でどんな役割を果たしていくことになるのか、とても気になります。
シリーズの続編の刊行が、さらに楽しみになりました。
☆5つ。