tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『きみの友だち』重松清

きみの友だち (新潮文庫)

きみの友だち (新潮文庫)


わたしは「みんな」を信じない、だからあんたと一緒にいる――。足の不自由な恵美ちゃんと病気がちな由香ちゃんは、ある事件がきっかけでクラスのだれとも付き合わなくなった。学校の人気者、ブンちゃんは、デキる転校生、モトくんのことが何となく面白くない……。優等生にひねた奴。弱虫に八方美人。それぞれの物語がちりばめられた、「友だち」のほんとうの意味をさがす連作長編。

さすが重松清さん。
今回もたっぷり泣かされてしまいました。


交通事故により、松葉杖なしには歩けなくなった恵美ちゃん。
幼い頃から腎臓の病気と闘い続けている由香ちゃん。
この2人の友情を中心に、その周りの子どもたちのさまざまな「友だち」関係を描いた連作短編集です。
読んでいる間中ずっと、懐かしさと共にチクチクと胸の痛みを感じずにはいられませんでした。
小学校、中学校と、子ども時代の友達関係って、どうしてなかなか難しいものだったなぁ、と。
集団の中に溶け込めない子どもはどこのクラスにでも何人かはいるものだし、女の子は小学校高学年ともなるとはっきりと仲良しグループが分かれてしまって時々対立したりもするし、大人たちはクラスみんな仲良くやりなさいなどというけれどそんなのは到底無理な話で…。
今になってみると「友だち」ってそんなに難しく考えなきゃいけないような関係じゃないのになぁと思えるのですが、それはやはり大人の言い分なのでしょうね。
大人と違って子どもは毎日「友だち」と顔を合わさなければならない。
同じクラスなら最低1年、毎日。
だからこそ何とか「友だち」を作らなくちゃ、仲良くうまくやっていかなくちゃ、と気負ってしまう。
でも、一緒にいること=友だちではないのですよね、本当は。
一緒にいなくてもむしろ平気で、長いこと会っていなくて久しぶりに会っても、顔を合わせた瞬間に会っていなかった時間などなかったかのように自然に話ができて、笑い合える、そういう関係こそが友だち。
大人になった今はそのことがよく分かるけれど、子どもにもそれを理解しろというのはなかなか難しいでしょう。
子どもたちが「友だち」ってなんだろうと立ち止まってしまった時に、明快な答えではないけれど、一つのヒントを与えてくれる小説、それがこの作品です。
でも、子どもだけではなく、大人にとっても「友だち」の意味を考えさせてくれる作品でもあります。


恵美ちゃんと由香ちゃんはクラスの中で2人だけ浮いた存在です。
でも2人だけでありながら、本人たちは全く寂しさなど感じてはいません。
恵美ちゃんには由香ちゃんが、由香ちゃんには恵美ちゃんがいるのだから。
友達は多いほうがいいという考え方が世間一般では常識のようになっていますが、この本ではそんな価値観を吹き飛ばして、無理をしてまで大勢の友達の輪の中に入る必要はないということを伝えています。

「いなくなっても一生忘れない友だちが、一人、いればいい」
由香ちゃんのこと――だろうか。
「一生忘れたくないから、たくさん思い出、ほしい」
恵美ちゃんは空からきみに目を戻して、つづけた。
「だから……『みんな』に付き合ってる暇なんてない」


293ページより

この言葉は、友達関係に悩む小中学生にとってとても心強く響くのではないでしょうか。
小中学校時代の友達と大人になってもずっと一緒にいられる人などほとんどいません。
どんなに仲が良くても、みんな大人になるにつれて少しずつ離れていく。
でも、物理的な距離がどんなに遠くなっても、心の距離は会えばいつだってすぐに昔のように縮められる…そんな関係の友達がほんの数人、たとえ一人でも、いればそれでいいんだよ…という重松さんの子どもたちへのメッセージが強く伝わってきました。


この作品でちょっと面白いなとおもったのは、文体が2人称(「きみ」)であることです。
語り手は作者自身なのかなと思いながら読んでいたのですが、最後に語り手の正体が明かされたときにはなんだかじんわりうれしくなってしまいました。
この語り手の正体が分かる最後の章「きみの友だち」とその一つ前の章「花いちもんめ」は号泣必至ですので、絶対に電車の中などで読まないように、気をつけてくださいね。
☆5つ。