tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『さまよう刃』東野圭吾

さまよう刃 (角川文庫)

さまよう刃 (角川文庫)


自分の子供が殺されたら、あなたは復讐しますか?
長峰重樹の娘、絵摩の死体が荒川の下流で発見される。犯人を告げる一本の密告電話が長峰の元に入った。それを聞いた長峰は半信半疑のまま、娘の復讐に動き出す――。遺族の復讐と少年犯罪をテーマにした問題作。

いや〜、東野さんはこういう作品を書くとやっぱりうまいですね。
巧みに視点を変え、畳み掛けるように事態が二転三転し、ラストまで息もつかせぬ展開で一気に読ませます。
その過程で、いろいろと深く考えさせてもくれます。


一人娘を何者かに殺された会社員の長峰の元に、謎の人物から密告電話が入る。
その電話は、長峰の娘を殺した犯人2人の名と、そのうちの1人の自宅の場所を告げていた。
その犯人の家に侵入した長峰は、そこで娘が2人の少年に陵辱される様子を撮影したおぞましいビデオを発見する。
長峰の怒りと憎悪が最高潮に達したその時、その家に住む犯人の1人が帰宅した。
――彼を包丁でメッタ刺しにして殺害した長峰は、もう1人の犯人の少年を探して復讐の旅に出る――。


物語序盤がこんな感じなので、どうしても娘を蹂躙され殺された長峰に感情移入をしてしまいます。
長峰が考える通り、犯人は18歳の少年。
警察に逮捕されたとしても、少年法に保護されているがゆえに、彼は刑務所に入ることもなく、刑罰を受けることもなく、更生教育を受けて社会復帰を目指すことになります。
それでは被害者とその遺族の無念は晴れない。
しかも、全ては遺族の知らないところで話が進んで、遺族は犯人について詳しいことを何一つ知ることが出来ないまま。
それを思うと、少年法に疑問を抱かざるをえません。
ですが、だからといって、この作品の中で長峰が行ったような復讐が許されるかというと…それにも疑問符をつけずにはいられないのです。
私は基本的に私刑は許されないと思っています。
だからこそ、司法による裁き…すなわち死刑が必要だと考えています。
でもそれが私の揺るぎない信念かと問われると、自信がなくなってきます。
確かに残虐な犯罪を行った者に対する刑罰は必要ですが、死刑を執行したところでその犯罪者によって奪われた命は帰ってくることはありませんし、ある程度心の整理はつくとしても遺族の悲しみが癒えるわけでもないでしょう。
それを考えると結局死者の数を増やすだけで、やるせない気持ちしか残らないような気もします。
「死刑になりたかった」といって犯罪を犯す人の存在を考えると、死刑が完全に犯罪抑止力になることはできないわけですし。
だからと言って死刑を廃止することに賛成する気にもなれないのですが…(死刑を廃止して代わりに終身刑を導入せよという声もあるようですが、残りの人生をずっと刑務所に閉じ込められたまま死んでいく、というのもある意味死刑より残酷ではないかという気がするんですね。その犯罪者を一生養うためのお金はどこから出るのか、という問題もあるし)。


この作品を読んでいる間中、ずっとこのような答えの出ない自問自答をし続けることになりました。
物語の展開にハラハラしながら、私はどのような結末を望んでいるのだろう…と。
長峰が警察に捕まることなく復讐を遂げることか?
警察が、長峰が追う少年を先に発見し、結果的に長峰も少年もどちらも逮捕されることか?
それとも…。
答えが出ないまま辿り着いた結末は、何とも言えずやるせなく、後味の悪いものでした。
でも、たとえ別の結末だったとしても、明確な答えの出しにくいこういう性質のテーマを扱った作品であるがゆえに、スッキリと納得のいく気持ちのよい結末などありえないのだと思います。
裁判員制度の導入が来年に迫り、死刑制度や少年法のあり方も含め、犯罪者を裁くということについて考えなければならない機会は今後増加することでしょう。
その際に、この作品は考えるためのよいきっかけとなってくれると思います。
☆5つ。
そうそう、加害者の親と、被害者の親と、どちらもそれぞれの立場で我が子を守ろうとしている姿も非常に印象的でした。




♪本日のタイトル:Mr.Children「タガタメ」より