tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『孤宿の人』宮部みゆき

孤宿の人 (上) (新人物ノベルス)

孤宿の人 (上) (新人物ノベルス)


孤宿の人 (下) (新人物ノベルス)

孤宿の人 (下) (新人物ノベルス)


それは海うさぎとともにやってきた。
江戸から金比羅代参で讃岐を訪れた九歳の少女ほうは、丸海の港で置き去りにされ、たった一人見知らぬ土地に取り残される。幸い、丸海藩の藩医・井上舷洲宅に奉公人として住み込むことになった。それから半年……、この丸海の地に幕府の罪人・加賀殿が流されてくること……。海うさぎが飛ぶ夏の嵐の日、加賀殿の所業をなぞるかのように不可解な毒死事件や怪異現象が井上家と丸海藩に次々と起こっていく……。

大好きな宮部みゆきさんの作品がノベルス落ちしたので迷わず購入。
期待を裏切らない素晴らしい作品でした。


最近歳のせいなのか、どうも健気な子どもの姿にとても弱くなってしまいました。
テレビ番組で「はじめてのおつかい」というのがありますが、もうあんなの見たら涙でボロボロになることでしょう(分かっているから見ない・笑)。
だから、この作品の主人公「ほう」の健気さには序盤から泣かされっぱなしでした。

「あたし――何も働いてないし。あたしのような余計者は、働かなかったら、おまんまはいただいちゃいけないんです」


上巻117ページより

若干9歳の女の子にこんなこと言われたらもうダメですよ。
この時点でぎゅっと胸をわしづかみにされてしまい、ほうが愛おしくてならなくなってしまいました。
居場所を失ったほうと一時期一緒に住む宇佐という名の引手見習いの少女もきっとそうだったのでしょうね。
ほうは不幸な境遇に生まれ、物心がついてからも過酷な運命に翻弄されて、あちこちを転々としながら下女として働いて生きています。
「ほう」という珍しい名前は「阿呆」の「ほう」から名づけられたというほどに、物覚えや理解が遅い子でもあります。
大人たちから心無い言葉を投げかけられ、ひどい扱いを受け続けるほうですが、それでも彼女は一言も泣き言や不満を口にしません。
ただ黙々と働き、懸命に物事を理解しようとするその姿が健気で胸を打ちます。


そんなほうが紆余曲折の末にたどり着いた瀬戸内の小藩、丸海藩(これは架空の藩だそうです)では、恐ろしい罪を犯して江戸から流されてきた「加賀さま」を受け入れたことをきっかけに、人々の間に不安が広がり、奇怪な毒殺事件や事故、流行病などが次々に起こって混乱していきます。
不安と不満が高まった人々は、全ての災厄は「加賀さま」のせいだと、「加賀さま」を悪鬼扱いするようになります。
不可解で不吉な出来事が起こると、その原因を自分たちではなく他の何かに求めて責任を押し付ける―これは現代でも少なからず起こっていることではないかと思います。
もちろん江戸時代はテレビもインターネットもない時代なので、いわれのないデマが広がってしまうのも仕方がないとも言えるのですが、正体の分からぬものに怯え、おろおろし、最終的には暴発してしまう大人たちの姿はとても哀れなように思えました。
それに対し、ほうは頑是無い子どもであり、下賤の身であるがゆえに、自らの目で真実を確かめることができました。
それはとても皮肉なことかもしれませんが、「阿呆のほう」と言われるような、少しばかり理解の遅い子どもであっても真実を見つめ受け入れる力は持っている、というのはいつの時代においても真実であるのかもしれません。
大人は真実を知っていても、その事実から目をそらし、意図的に嘘の情報を流したりすることもあるのです。
一人の少女の澄んだ目から見た、ある田舎の小藩の一大事とお家騒動の物語には、現代を生きる私たちにも学ぶところがたくさんあると思いました。


クライマックスは悲惨としか言えないような展開で、涙が止まらない結末でした。
それでも読後感が悪くないのは、ほうが確実にこの事件を通して成長し、波乱の日々に学んだ物事やさまざまな人々との出会いを糧に、これから力強く自分の足で地を踏みしめて生きてゆくのだと確信できるからです。
人間の醜く愚かな側面もたっぷりと描いてはいますが、一方で明るく働き者の宇佐やほうを助けてくれる人々など、心優しく気持ちのよい人間もたくさん登場します。
悲しい事件の果てに希望が見えてくる、感動的な物語でした。
☆5つ。




♪本日のタイトル:コブクロ「手紙」より