tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『オリガ・モリソヴナの反語法』米原万里

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)

オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)


1960年、チェコのプラハ・ソビエト学校に入った志摩は、舞踊教師オリガ・モリソヴナに魅了された。老女だが踊りは天才的。彼女が濁声で「美の極致!」と叫んだら、それは強烈な罵倒。だが、その行動には謎も多かった。あれから30数年、翻訳者となった志摩はモスクワに赴きオリガの半生を辿る。苛酷なスターリン時代を、伝説の踊子はどう生き抜いたのか。感動の長編小説、待望の文庫化。

米原万里さんの書くモノって、本当にすごい。
新年からガツンガツンと米原さんの本にやられっぱなしです。


米原さんの著作は基本的にエッセイばかりですが、この『オリガ・モリソヴナの反語法』だけは長編小説になっています。
ですが米原さんが実際にプラハにいた頃に見聞きしたことや、膨大な資料にあたっての史実に基づいた記録を元に書かれた小説なので、フィクションとは思えない迫力と切実さを持って一文一文が胸に迫ってきます。
日本人にとってはソ連やチェコの歴史や文化は少し縁遠く感じられますが、ストーリーがソビエト学校の強烈な個性を持った2人の先生についての謎に迫るというミステリ仕立てになっているので、非常に読みやすくなっています。
また、謎はかなりテンポよく速いスピードで解かれていくのですが、一つの謎が解けたと思ったらまた新たな謎が出てきたりして、読者を飽きさせず手に汗握る展開になっています。
そしてラストに全ての謎が解かれ、オリガ・モリソヴナという波乱の人生を送った老教師が「反語法」を多用した真相に行き着いたときには、心地よい涙が止まりませんでした。
この作品には読むのが辛い場面も出てきます。
旧ソ連スターリンによる「粛清」がこれほど酷いものだったとは正直思っていませんでした。
ですが、理不尽かつ過酷な体制の中、肉親と引き裂かれ、飢えと拷問と肉体労働の日々の中、それでも希望を失わずに力強く生きた人々が確かに大勢いたことに、なんだか心が勇気付けられるような気がしました。
それと同時に運命の皮肉さと人間の業の深さも感じずにはいられませんでした。
強くたくましく生き抜いた人々も、体制側の人間として残酷な行為を行った人々も、みんな同じ人間なんですよね。
一つ歯車の噛み合わせが違っていたら、立場は全く逆だったかも知れないんですよね。
実際に「粛清する者」がしばらく後には「粛清される者」になっていたということもあったわけですし。


でも、民主主義の国に生まれてよかったなぁなんて思いながら作品を読み終えて、巻末の米原さんと池澤夏樹さんとの対談を読んでまたもや頭をはたかれたような気分になりました。
そこには、米原さんがチェコから日本に帰ってきた時、共産主義国であるチェコの方が日本よりも自由だったと感じたということが書かれていたのです。
なるほど確かに…日本、特に学校は、「みんな同じ」であることが重視されて、個性を主張することがあまりよしとされない社会ですもんね。
学生だった当時はそんなこと考えもしませんでしたが、今から思えばなぜ学校という場所はあんなに社会主義的な組織なんでしょうね?
みんな横並びで、ちょっとでもはみ出すと異端扱い、ひどいといじめに遭う。
本当に自由な社会って一体何なんだろう、そう考えずにはいられませんでした。
エンタメとして面白いだけではなく、学ぶところの多い本に出逢えて本当に幸せです。
でも一つだけ残念なのは、もう二度と米原さんの新作が読めないこと…。
☆5つ。