tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『明日の記憶』荻原浩

明日の記憶 (光文社文庫)

明日の記憶 (光文社文庫)


広告代理店営業部長の佐伯は、齢五十にして若年性アルツハイマーと診断された。仕事では重要な案件を抱え、一人娘は結婚を間近に控えていた。銀婚式をすませた妻との穏やかな思い出さえも、病は残酷に奪い去っていく。けれども彼を取り巻くいくつもの深い愛は、失われゆく記憶を、はるか明日に甦らせるだろう! 山本周五郎賞受賞の感動長編、待望の文庫化。

映画化された話題作。
文庫化を待ってました!
期待通りの、涙なしには読めない感動の名作でした。


若年性アルツハイマー病という病気の名と、そのある程度の症状について知ってはいても、それがいつか自分にも起こり得ることとして捉えるのはなかなか難しい気がします。
がんだとかエイズだとか、他の病気にしてもそうですが、そんな難病にかかる可能性など誰も認めたくはないでしょうし、あまり気にしていると生きることすら恐くなるからです。
でも、『明日の記憶』を読むと、否応なく難病の現実と向き合わされます。
この本を読んでいて、ずっと恐くて辛かったのは、やはり自分や自分の周りの親しい人にも起こりうることなのだというのがリアルに感じられたからだと思います。
地の文がアルツハイマー病にかかった主人公・佐伯の一人称で書かれているのが非常に効果的ですね。
最初は普通の中年サラリーマンという感じだったのが、記憶がなくなっていく恐怖にとらわれ、絶望し、それでもやがて自らの病気を受け入れていくという過程の中で、少しずつ人物名などの固有名詞が文中に登場しなくなっていくのがとてもリアルでした。
佐伯の書く日記の文章にも、やがて誤字が頻繁に現れるようになり、少しずつ漢字が減ってひらがなが増えていき、同じ内容が繰り返されるようになるので、読んでいる側のこちらもどんどん不安になっていくのです。
この本の最後のページに到達した時、彼は一体どうなってしまっているのだろう――そんな、記憶を失う不安と恐怖が生々しく感じられました。


ですが、この作品は病気の恐さや悲しみだけを描いた作品ではありません。
希望となるのは、佐伯とその周りの人たちとのさまざまな人間関係です。
奥さん、娘、娘婿、孫、会社の上司、同僚、部下、取引先の人、趣味の陶芸教室の先生…。
中には、佐伯の病気を利用する人もいれば、裏切り行為を働く人もいます。
ですが、病にかかった佐伯を心の底から心配し、応援し、支え、共に生きていこうとする人もたくさん存在します。
そんな人たちが周りにいてくれるのは、佐伯が50年という決して長くはない人生を、真面目に一生懸命生き抜いてきたからこそだと思います。
佐伯の築いた人間関係は、彼が生きた証であり、それは彼が全ての記憶を失ってしまったとしてもきっと存続するでしょう。
そして、彼の肉体が滅んでしまった後も、彼が生きていたという証は、彼の周囲の人々の記憶の中にとどまり続けるのです。
アルツハイマーに限らずどんな難病にかかったとしても、そうした信頼に基づく確かな人間関係の中で自分を支えてくれる人がいれば、乗り越えられるものもきっとたくさんあると思います。
私も、病気になったり何か他の困難に見舞われたりしても、誰かに支えてもらえるような、あるいは逆に私が困難な状況にある誰かを支えてあげられるような、そんな人間関係を築ける生き方をしていきたいと思いました。
たとえ、その全てがいつか記憶から消え去っていくのだとしても…。


ラストシーンはとても美しくて、涙が止まらないながらも救いのある終わり方で、読後感は悪くありませんでした。
☆5つ。
映画、テレビで放映してたのに見逃しちゃったなぁ。
DVD借りてこようかなぁ。