tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『夕凪の街 桜の国』こうの史代

夕凪の街桜の国 (Action comics)

夕凪の街桜の国 (Action comics)


昭和30年、灼熱の閃光が放たれた時から10年。ヒロシマを舞台に、一人の女性の小さな魂が大きく揺れる。最もか弱き者たちにとって、戦争とは何だったのか……、原爆とは何だったのか……。漫画アクション掲載時に大反響を呼んだ気鋭、こうの史代が描く渾身の問題作。

この作品が大反響を呼んだのは昨年・一昨年のことですから、かなり今更な感はありましたが、とあるレビューを読んで惹かれるものがあったので、あえて手に取ってみました。
整っているとは言えないけれど、素朴なタッチで描かれたこの作品を読み終わった今の気持ちは、言葉にしようとしても上手く表せなくてもどかしさが募ります。
けれども、この言葉にできない感情こそが、この作品がくれた何よりの贈り物であるような気がします。


これまで私が触れた原爆に関する本や映像作品は、原爆の物理的な残酷さを強調したものが多かったように思います。
ですが、「夕凪の街」と「桜の国(1)」「桜の国(2)」という3つの連作短編からなるこの作品は、それとは逆に原爆が落とされてから長い時間が経った後のひそやかな残酷さを描いた作品です。
「夕凪の街」では被爆して10年後に原爆症を発症する若い女性・皆実(みなみ)のことが描かれています。
会社に行き、広島カープの話をして、恋をして…普通の日常生活を送る皆実に、10年のときを経て確実に忍び寄る原爆の恐怖。
皆実のモノローグの一つ一つが胸に突き刺さります。

ぜんたい
この街の人は
不自然だ


誰もあの事を言わない
いまだにわけがわからないのだ


わかっているのは「死ねばいい」と
誰かに思われたということ
思われたのに生き延びているということ


(中略)


嬉しい?


十年経ったけど
原爆を落とした人はわたしを見て
「やった!またひとり殺せた」
とちゃんと思うてくれとる?

本当は皆実が死ねばいいと思った人など一人もいなかったはずです。
でも、誰かが落とした原爆が、皆実を殺して、今も誰かを殺し続けている。
原爆に限らず、誰かが住んでいるどこかの国のどこかの街を攻撃するということは、結局はそういうことなのです。


「桜の国」は「夕凪の街」からさらに時が過ぎた、昭和62年と平成16年のお話。
こちらは、原爆投下から60年が経った今でも、まだ原爆が残したものに苦しめられている人が確かにいるのだということを私に教えてくれました。
私と同世代の人で、直接被爆した人はひとりもいません。
ですが、被爆2世・3世として、原爆の影響を不安に思いながら、また、被爆者を身内に持つ者に向けられる差別と戦いながら生きている人は存在するのです。
私はずっと、心の中のどこかで、原爆は遠い昔のことだと思ってきました。
でもそれは間違いだったと、今ようやくわかりました。
「夕凪の街」で皆実が住んでいる「原爆スラム」(家を失った被爆者たちが身を寄せ合って暮らしていた集落)は昭和52年まで存在していたのだそうです。
ということは、私が生まれるほんの直前まで、原爆が残した生々しい傷跡はまだ存在していたのです。


今までずっと、戦争の話も原爆の話もできれば避けて通りたいと思っていたけれど、こうして自分に近いところに戦争も原爆もあるのだということがわかった以上、逃げてはいけないと思いました。
あの日の惨状を思い出してしまうから取り壊してほしいという意見が多かったという原爆ドームは今も広島にちゃんと存在していて、被爆体験を自ら語ってくれる被爆者もいる。
恐怖から逃げずに後世に伝えることを選んだ被爆者たちの勇気を受け止める勇気を私も持たなければいけないと思いました。
原爆の残酷さを語り継ぐという使命と、尊い犠牲の上に成り立った平和を享受している後ろめたさを、広島や長崎の人たちだけに背負わせるのは、ただの傲慢だから。
広島には中学の修学旅行で、長崎には高校の卒業旅行で行っただけ。
資料館は見学しましたが、あまり時間が無く駆け足での見学で、実のところあまりよく覚えていません。
また絶対にもう一度行ってみよう。
今度はもっとじっくり学ぼう、考えよう。
そう思わせてくれた、素晴らしい作品でした。