tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

「逆転同窓会」に物申す

…ということで、東野さんの「逆転同窓会」に対してちょっと言わせてもらいます。
最初に断っておきますが、私は教員養成系の大学出身であり、企業勤務ですが教員免許は持っています。
そのことを頭においてお読みください。


この作品では、学校の先生たちが社会人としての常識や最新の技術や知識について不勉強であり無知であるということを皮肉っています。
また、この作品に対するあとがきでも東野さんは学校関係者の常識知らず振りを嘆いてらっしゃいます。
教育関係者の常識知らずや学校という社会の特殊さに関しては、一切否定するつもりはありません。
東野さんのご立腹もごもっともと思います。
ですが、教育関係者だけを責めるのはフェアではないような気がします。
ここで言われている「常識」とは、主に企業における常識なんですよね。
学校関係者よりも企業関係者のほうが圧倒的に数が多いから、「企業の常識=社会の常識」ということになっていますが、もしも学校関係者のほうが多かったら(ありえないとかいう突っ込みはなしですよ)「学校の常識=社会の常識」になっていると思うんです。
それに、教師は専門職ですから狭い世界になってしまうのはどうしても仕方のないことだと思います。
教育大出身とかだと、大学での友人は教員志望者ばかりですし、卒業して実際に教師になったらもちろん周りも教師ばかりです。
このような状況は教師に限らず他の専門職、例えば医者などでも同じようなものではないでしょうか。


また、教師が企業のことをあまり知らないように、企業の人々も学校や教育のことをあまり知らないと思います。
子どもの教育が難しい時代だと言われる昨今、教師という職業はある程度の覚悟と強い情熱がなければ勤まらないものだと思います。
また、実際に教師として働いているのと、ただ単に教員免許を持っているだけなのとは全く違います。
教員免許を持っていれば誰もが教師になれるわけではないですし、教員免許自体はそう取得が難しい特殊な資格ではありません。
なのに「教員免許持ってるんやったら企業勤めするより教師になったほうが絶対ええやん」なんて勝手に決め付けられたり、「教員免許をお持ちの優秀な方はわが社にはもったいない…」などと就職を断るだしに使われたりします。
そのたび私は「みんな学校のことも教師という職業のことも教育のことも、何も知らないし理解していない!」と一人憤慨しております(反発するのも馬鹿馬鹿しいので笑って受け流しますけどね)。
結局、お互い様なんですよ。
教師は企業を知らない、企業の人は学校を知らない。
お互い様なのにどちらかがどちらかを責めるというのはただの水掛け論にしかなりません。


ただ、東野さんを批判するのもちょっとおかしい気がするのであえて擁護するならば、東野さんは理系であるがゆえに教師の常識&知識不足が目に付くのかなという気がします。
理系科目で教えられる知識は、具体的にどのような技術や商品に結びつくものなのかがはっきり示せるものが多いと思うんですね。
文系科目だとなんだか曖昧で抽象的になってしまうんですけど。
ですが実際の教育では現在の研究成果や技術の最前線の具体例を教えることはほとんどないと思うのです(少なくとも私が受けてきた教育ではありませんでした)。
それが教師の勉強不足ゆえなのか、教育課程の都合ゆえなのか、そこまでは私も分かりませんが、あまり教育のことを知らない人には、教師の怠慢と取られてしまっても仕方がないのではないでしょうか。
社会に出ると多くの人が「いままで学校で習ってきたことは一体なんだったんだろう…」と思うことがあるでしょうし。
私は、今通っている英語学校の課題でアメリカの高校で使われているScienceの教科書を読んだことがあるのですが、それには一単元が終わるごとに、「この単元で勉強したことに興味があるなら、将来こんな仕事に就くといいかもしれませんよ、こんな研究(商品・技術)がありますよ」と関係の企業や大学や研究所の連絡先やホームページアドレスがリストアップされていました。
こうした視点は日本の教育には残念ながら少ないですよね。
でも、「今自分が学んでいることが将来何の役に立つ(かもしれない)のか」はおそらく生徒が一番知りたいことでしょうし、単なる知識の積み重ねよりも、その知識が実際の社会ではどのように利用されているのか、どのように応用できるのかを学ぶことの方が、生徒自身にとっても社会にとっても有益だと思います。
知識を得ること自体は別に学校でなくても、社会に出てからでもいくらでも出来ることですから。
そのためには、今ある学校社会と企業社会との距離を、少しでも縮めていく努力が必要なのではないでしょうか。


なんだか半分愚痴交じりになってしまいましたが、要するに私が言いたいのは、教師だろうとそうじゃなかろうと、無知と無理解と無関心はお互いのためになりませんよ、と、そういうことです。
私ももっと勉強しなくてはいけないし、自分の専門分野だけではなく幅広い物事に関心を持つようにしたいと思います。
長文お粗末さまでした。