tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『出口のない海』横山秀夫

出口のない海 (講談社文庫)

出口のない海 (講談社文庫)


人間魚雷「回天」。発射と同時に死を約束される極秘作戦が、第二次世界大戦の終戦前に展開されていた。ヒジの故障のために、期待された大学野球を棒に振った甲子園優勝投手・並木浩二は、なぜ、みずから回天への搭乗を決意したのか。命の重みとは、青春の哀しみとは―。ベストセラー作家が描く戦争青春小説。

映画化され、現在そのCMがテレビで流れている『出口のない海』。
横山秀夫さんの作品を読むのは4作目ですが、4作目にして初めて横山作品に最初から最後まで入り込めた気がしました。
横山さんの作品は「男の職場」のドロドロした人間関係や権力闘争など、男くさいものを描いた作品が多く、その部分が評価されてもいるのですが、どうにも私はその男くささに共感できず、それなりに面白いとは思うものの、すっきりと感動できずにいました。
この『出口のない海』も戦争の話なので男くさいといえばそうなのですが、青春小説でもあるせいか、いつもよりずっとすんなりと主人公の並木をはじめとする登場人物たちに感情移入することができました。
感情移入さえできれば横山さんの文章のうまさですから。
横山秀夫さんいいじゃん」なんて思っちゃいました。


この時期にこの作品を読めたこともよかったのかなと思います。
8月といえば、広島・長崎への原爆投下、終戦、そして、甲子園。
8月は日本人にとって否が応でも戦争のことを考えさせられる月だと思うのです。
そして、甲子園での高校生たちの活躍を通して、「青春」を感じられる月。
この作品の主人公である並木は、甲子園の優勝投手です。
しかしその後多大な期待をかけられて進学した大学でひじを壊してしまいます。
それでも野球が好きだ、野球がやりたいとの一心で再起をかけて取り組み始めた「魔球」の開発。
しかし、その「魔球」が完成しないうちに、並木と彼のチームメイトたちはそれぞれ戦争へ駆り出されることになってしまいます。
実際、十分な実力や才能を持ちながら、このような形で戦争によりその力を発揮する場も機会も奪われてしまったアスリートは多かったのではないかと思います。
今、冷たいものを飲んだり食べたりしながらテレビで高校野球を観戦できる、そのなんと幸せなことか。
この平和をいつまでも守り続けなければならないと思います。
もう二度と、ボールやバットを握るべき手が、銃を握ることのないように。


そして、特攻魚雷「回天」。
「男たる者お国のために喜んで死ね」…なんと冷酷で非情な言葉か、と思います。
ですが当時はそれが当り前だったのでしょう。
大好きな憧れの兄(並木)の出征に際し、小学生(当時は国民学校)の少年(並木の弟)に「兄さん、立派に死んで来てください」と言わしめる時代だったのですから。
軍隊内部の暴力、厳しい規律、まとまりのない人間関係。
そして、十分な開発期間もテスト期間もないまま実戦に送り出された未熟な兵器。
そんな状態で戦って勝てるはずなどなかったのに。
それに、特攻隊員たちに突きつけられる死の恐怖。
生きて戻れば非難され、けれども一人で敵に突っ込んで死んでいくがゆえに、その戦果すら誰にも確認してもらえることもない、あまりの理不尽。
戦争が終わってずっと経ってから生まれた私には、所詮国のために死んでいった人たちの気持ちは分からず、想像するしかありません。
多くの命を使い捨てにした日本を責めることも、敵国だったアメリカを恨むことも、誰か特定の個人の戦争責任を追及することも、私にはできません。
平和な時代の日本に生まれた者としてできることはただ、昔悲惨な戦争があったことを忘れないこと、後世に伝えていくことでしょう。
そのためにこの作品が果たす役割は大きく、「回天」と「回天」に搭乗した若者たちの姿を描いて世に伝えることは、非常に意義深いと思います。


実際にあった戦争を描いた小説なので「面白い」というのはちょっと違いますが、結末が分かっていながら読後感は悪くなかったです。
個人的にこれまで読んだ横山作品の中では一番良かったので、今後の作品への期待も込めて☆5つ。
ミステリも警察小説もいいのですが、また時々は別のテーマの作品も書いていただきたいです。