tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『時計を忘れて森へいこう』光原百合

時計を忘れて森へいこう (創元推理文庫)

時計を忘れて森へいこう (創元推理文庫)


同級生の謎めいた言葉に翻弄され、担任教師の不可解な態度に胸を痛める翠は、憂いを抱いて清海の森を訪れる。さわやかな風が渡るここには、心の機微を自然のままに見て取る森の護り人が住んでいる。一連の話を材料にその人が丁寧に織りあげた物語を聞いていると、頭上の黒雲にくっきり切れ目が入ったように感じられた。その向こうには、哀しくなるほど美しい青空が覗いていた…。

光原百合さんの作品の中では『十八の夏』が大好きです。
この『時計を忘れて森へいこう』は光原さんのデビュー作である連作ミステリですが、『十八の夏』と同じさわやかで優しくて美しい物語が綴られていて、とてもうれしくなってしまいました。


主人公は女子高生の若杉翠。
勉強が苦手でおっとりした性格だけど、とても優しく素直な心を持った素敵な女の子です。
そんな翠が学校の校外学習の途中でなくしてしまった時計を探しに入った森の中で出逢ったのが、森の中の環境教育施設で働く深森護さん。
自然と共に生き、自然との対話の仕方を人々に教える護さんは、人間の心とそこに潜む真実をも敏感に察し、切なくも美しい物語を優しく語りかけるのです。
この護さんの人物造形が非常にいいですね。
まさに「癒し」そのもののような人。
優しくて、素朴で、礼儀正しくて。
翠が護さんに夢中になってしまうのもよく分かります。
護さんだけでなく、彼が働く清海の森に夢中になるのも。
春の花の美しい絨毯、吹き抜ける心地よい夏の風、色鮮やかな秋の紅葉、白い雪を踏みしめる音…。
森の四季の描写に加え、自然の恵みのおいしいミルクやソフトクリームなどの食べ物の描写もたまりません。
私も森に出かけて風を感じたり、森に棲む動物や小鳥たちの鳴き声に耳を傾けたり、ソフトクリームをなめながら高原を散歩したりしたいなぁと思わずにはいられません。
護さんが解いていく謎も、少し悲しい物語ですが、最後にはよかったなぁとほっとさせられる、後味の良いものばかりです。
自然と対話し、自己の内面と対話し、縁があって出逢った人たちと対話する。
人間が生きていくためにとても大切な、けれどもなかなか実行することの難しいことを、あくまでも自然体でやってのける護さんと、護さんに導かれてそれらを体験していく翠のことが、とてもうらやましくなりました。


作者の光原さん自身が若かったのでしょう、少々青臭い雰囲気もありますが、期待通り読んでいてとても心地いいミステリでした。
できればまた、翠と護さんが綴る別の物語が読んでみたいです。
☆5つ。
この夏避暑地にでも出かける予定のある方は、ぜひこの本を持って行って、涼しい風の吹く場所で、新鮮なミルクでも飲みながら読んでください。
素敵な夏の思い出の1ページとなること間違いなしです。