tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『ぼんくら』宮部みゆき

ぼんくら(上) (講談社文庫)

ぼんくら(上) (講談社文庫)


ぼんくら(下) (講談社文庫)

ぼんくら(下) (講談社文庫)


「殺し屋が来て、兄さんを殺してしまったんです」
――江戸・深川の鉄瓶長屋で八百屋の太助が殺された。
その後、評判の良かった差配人が姿を消し、三つの家族も次々と失踪してしまった。
いったい、この長屋には何が起きているのか。
ぼんくらな同心・平四郎が動き始めた。
著者渾身の長編時代ミステリー。

どうやらすっかり私は「時代小説苦手」を克服してしまったようです(^^)v
この作品もすんなり読めた…どころか時々くすりと笑ったりしんみりしたりしながら夢中になって読みました。


『ぼんくら』は、面倒くさいことが大嫌いな同心の平四郎を中心に、鉄瓶長屋の差配人の佐吉、煮売屋を営むやもめのお徳さん、平四郎の甥で超絶美少年(笑)の弓之助、別の長屋から鉄瓶長屋へ移ってきた元遊女のおくめ、有能な岡っ引きの政五郎…個性豊かな登場人物が魅力的な長編ミステリです。
…長編というよりは連作短編集のような形式を取っているのですが、これがまた読みやすい宮部作品をさらに読みやすくしていて効果的だと思います。
最初は鉄瓶長屋で起こり始めた出来事を人物紹介も兼ねてひとつずつ語り、役者と事件の謎が揃ったところで長い謎解き編が始まるという構成で、作品の世界にとても入っていきやすいのです。
このあたりの構成力はさすがは宮部さんといったところでしょうか。
現代物においても時代物においても宮部さんの「先を読ませる力」はちっとも揺るがないのです。


そして、宮部さんの作品の魅力はミステリ的な面白さよりも何よりも、なかなか表舞台に出ることのない人間の隠れた苦悩や努力やけなげさや悲しみにあたたかい眼差しを注ぐ、その視点ではないでしょうか。
私はこの作品で、病に倒れた夫を看取り、ひとりでたくましく働いて煮売屋を続けてきたお徳という心も身体も丈夫な女性が、共に暮らすようになった遊女上がりの女・おくめの病を知って泣き崩れるシーンが大好きです。
このシーンのお徳のせりふをまるまる引用してみます。

「あたしと一緒に暮らすと、みんな病にかかって、辛い思いをして死ぬんだよ。あたし何かよくないことをしたんだろうか。だから罰が当たってるのかね?だったらあたしに当てて寄越したらよさそうなもんじゃないか。だけどあたしはいっつも元気なんだよ。亭主の時だってそうだった。あの人は身動きできないで寝てるのにさ。あたしはお腹が空くんだよ。おまんま食べるんだよ。風邪ひとつひかないんだよ。今度だってそうさ。おくめさんが何だかわからないうわごと言ってるのに、あたしは芋の皮むいてるんだよ。毒虫に刺されたって、塩でもつけとけばひと晩で治っちまうんだよ。おかしいじゃないか。ね、おかしいだろ?」

病に倒れてどんどん弱っていくおくめのほうではなく、あえてそれを看病するお徳の苦しみの方に読者の目を向けさせる、それこそが宮部さんの優しさなのです。
それは作品によって、酷い目に遭わされた犯罪被害者だったり、失恋してしまった冴えないOLだったり、地味だけど一生懸命長い人生を生き抜いてきた老人だったり、世の中にある汚いものを知ってしまった少年だったり、はたまた飼い主に恵まれなかった犬だったりするのですが、そうした華やかな世界とは全く無縁の本当に普通の人(&動物)へ向ける眼差しのあたたかさこそが、宮部作品とその他の作家の作品とを分ける大きな違いです。
読者は読み進むうちに、自分の日々の辛いことや頑張っていることも、宮部さんならちゃんと見てくれているんじゃないか、分かってくれるんじゃないかと思い、勇気付けられることでしょう。
宮部作品が売れる理由はここにあるのです。
この魅力は万人に受けるものです。
私はこの本を父から借りました。
元はと言うとこの本を読み終わった父が私に(父は私が宮部ファンであることを知っているので)「『日暮らし』*1持ってへんか?」と聞いてきたので「『日暮らし』どころか『ぼんくら』もまだ読んでへん」と答えたところ、「それなら読んでみ」となったのでした。
私と父とでは、もちろん年齢も性別も違いますし、読書嗜好も異なります。
それでもやっぱり宮部さんの作品には同じように惹かれるのですね。
「何か面白い本ない?」と誰かに訊かれたら、自信を持って「宮部さんの『ぼんくら』はいいよ!」と薦めたい。
☆5つ。

*1:『ぼんくら』の続編