tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『未明の悪夢』谺健二

未明の悪夢 (光文社文庫)

未明の悪夢 (光文社文庫)


1995年1月17日未明、神戸を未曾有の大震災が襲った。
一瞬にして崩壊した街で、私立探偵の有希真一は多くの死を目の当たりにする。
ようやく彼が救出した友人の占い師探偵・雪御所圭子も精神に異常を……。
そんな最中、バラバラ死体の消失、磔(はりつけ)殺人と、連続猟奇殺人事件が発生する!
著者自らの体験も色濃い渾身の筆致で、ミステリー界が驚愕した鮎川賞受賞作!

阪神大震災のさなかに起こった連続殺人事件という一見難しそうな題材を扱ったミステリです。
謎解きは正直言ってそれほどあっと驚くようなものではありません。
島田荘司さんあたりの影響を受けていそうなダイナミックかつ猟奇趣味的なトリックで、雰囲気は悪くありませんが、斬新さもありません。
このミステリは、ミステリでありながら謎解きよりも震災被害の描写の方に重点が置かれているように思います。
作者自身が被災者であるというだけあって、激震による凄まじい神戸の街の様子、精神的にも肉体的にも傷つき疲れ果てた被災者たちの様子の描写があまりにも生々しく、胸に迫ってきました。
写真やテレビの映像などで倒壊した建物や高速道路、燃える長田の町の様子はたくさん見てきましたが、文字で読むとまた違った迫力があるものですね。
おしゃれで国際的なイメージのある神戸の影の部分からも目をそらさず、きちんと描いています。
これは絶対に震災を実際に体験した人でなければ書けない文章だと思いました。
主人公である私立探偵・有希の心理描写も非常にリアリティのあるものだったと思います。
有希の友人である占い師の圭子は、地震の前日、「たぶんそんなに遠くない将来、人が大勢、死ぬかもしれない」と予言めいたことを有希に告げます。
その時有希はまともに取り合おうとはしませんでした。

いくら譲っても、この科学と情報の発達した国において、一度に五千人以上もの人間が死亡するなどという事態はとうてい考えられない。(p.99)

そんなふうに有希真一は、いつものように昨日と同じ今日が、今日と同じ明日が、自分には巡ってくると思っていた。
思いこんでいた。
それはわざわざ意識して思い悩んだり、改めて疑問を差し挟んだりする余地のない自明のことだったから。あまりにも、当たり前のことだったから―。(p.118)

その後震災が起こって破壊と命の喪失を目の当たりにした有希は自分の浅はかさを悔やみますが、このような考えを持っていた有希を責めることは誰にもできないでしょう。
きっと日本中のほとんどの人が同じように平和なこの国と自分の日常生活が今日も明日も変わらず続いていくものとずっと信じてきたに違いないのですから。
その思い込みが文字通り無残に崩壊したのがあの大震災だったのです。
有希の他に登場する人物たちも、みなそれぞれ地震によって悲劇を経験します。
あまりにも簡単に多くのものがあの地震で失われてしまったということを改めて実感させられ、また悲しくやるせない気持ちになりました。
個人的に私が一番読んでいて辛かったのは、事件解決後、有希と圭子が大阪に行くシーンでした。

自分たちがどこか遠い別の星から来たかのようなその違和感は、地下鉄の駅へ向かうため地下街を歩いていく有希の中でいっそう募った。周囲を流れていく人の群れ。大阪の人々はまるで何事もなかったかのようにスーツと革靴に身を包み、女性たちは洗練された着こなしとメイクを見せている。それは震災以前の日常が変わらず続いているこの空間ではごく当り前の光景だったはずだ。だが、汚れたトレッキングシューズをはき、瓦礫から飛び散った粉塵まみれの埃っぽいジャケットを着てリュックを背負っている有希には、それが「当り前の光景」だなどとは最早思えなかった。
「当り前」とは何か。「日常」とは?ここは本当に、神戸と同じ「日本」という国なのか。(pp.426-427)

当時、神戸の人々が食料や日用品を求めて大阪にやってきたとき、そこに全く震災前と変わらぬ「日常」があったことに、彼らはみな愕然とした、という話はたくさん聞きました。
ちょうど震災から1週間後に私も梅田に行きましたが、駅やデパートに大きな荷物を積んだカートを引いた人々が溢れ返っていた光景は今でもよく覚えています。
あの時彼らはみな何を思っていたんだろう。
その答えが10年経った今、私の目の前に突きつけられたようで、息苦しくなりました。
家も仕事も失った有希と圭子ですが、神戸にとどまってそこで生きていく決意をします。
でも、神戸を離れた人も決して神戸を見捨てたわけではない…それぞれの事情を抱えて生きなければならなかった被災者の方々のこの10年を想った1冊でした。