tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『姑獲鳥の夏』京極夏彦

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)


この世には不思議なことなど何もないのだよ――古本屋にして陰陽師(おんみょうじ)が憑物を落とし事件を解きほぐす人気シリーズ第1弾。
東京・雑司ヶ谷(ぞうしがや)の医院に奇怪な噂が流れる。
娘は20箇月も身籠ったままで、その夫は密室から失踪したという。
文士・関口や探偵・榎木津(えのきづ)らの推理を超え噂は意外な結末へ。

ついに読み終わりました、京極夏彦さんのデビュー作、『姑獲鳥の夏』!!
ページ数が多く、ぎっしり文字の詰まった重厚な本ですが、内容のほうもなかなか重厚。
非常に読み応えのある本でした。


舞台は昭和27年の東京。
小説家でもありライターでもある関口巽は、友人の古書店主兼神主兼陰陽師京極堂こと中禅寺秋彦に、妊娠20ヶ月を過ぎても子どもが生まれてこない女性・久遠寺梗子の話を持ち込む。
さらに梗子の夫・藤牧の失踪事件も起きていた。
梗子の姉、涼子が関口と京極堂の友人であり探偵である榎木津礼二郎に藤牧の捜索依頼をしたことから、関口は久遠寺家で起こっている不可解な事件に巻き込まれていく。


この作品もネタばれせずに感想を書くのが難しい作品です。
最初のうちは延々と京極堂による人間の「意識」や量子力学に基づく世界観についての演説が続きます。
興味深い内容ではあるのですが、読んでいて分かったような分からないような…ここで嫌になってしまう人も少なからずいそうですが、実はこの演説部分にこそこの物語の謎解きの鍵があるので、飛ばさずに読んでおきたいところです。
そして、この演説部分が終わると、物語は俄然面白くなってきました。
語り手でもある関口は、どうやら記憶を失っている部分があるようです。
その失われた記憶は、一体何なのか?
久遠寺家に乗り込んだ榎木津には見え、関口には見えなかったものとは?
そして、密室から消え去った藤牧は一体どこへ?
次から次へと謎が襲ってきて息をつく暇も与えません。


しかもその謎は、従来のミステリの常識では考えられないような結末を見せます。
「密室」が出てきたときには、「なんだ、普通の本格ミステリなんだ」と思ったのですが、それは甘かったのです。
その謎が解かれたとき、こんなトリック(?)もありなのか!と目からうろこが落ちたような気がしました。
20ヶ月を過ぎても出産の気配がない妊婦の謎も、真相が分かってしまえば「なんだ…」という感じではあるのですが、その背景にある、久遠寺家の女性が代々苦しんできた「呪い」が非常にうまく描かれていると思います。
迷信や心霊、妖怪といったようなものが、差別を生み出す一つのきっかけであるという話は、中学だか高校だかの人権教育の中で聞いたことがありました。
京極夏彦さんも、この作品の中で同じことを京極堂に語らせているのだが、この「人間の意識や社会情勢が生み出すもの」が持つちからがこの事件を生んだのだとしたら、やはり私たちはそれらを恐ろしいと思わずにはいられないし、だからこそそれらに「憑かれる」という現象が起こるのだと思います。
京極堂が言うとおり、「この世に不思議なことなど何もない」のです。
この作品は、こうした民俗学に関する読み物としても非常に面白いと思います。


また、もう一つ注目したいのは京極さんの本づくりへのこだわり。
彼は自分でDTP(デスクトップパブリッシング・PCを用いた版下編集、レイアウトのこと)までやるそうですが、そのこだわりは伊達ではないと思いました。
こだわりの中の一つが、文の途中で決してページが変わらないこと。
作家によっては長い一文の途中でページを繰らねばならず、文章を読む流れを断ち切られてしまうことがあるのですが、京極作品では決してそのようなことがないのです。
これは意外に重要なことのように思えます。
私はしおりを挟んだページから読書を再開する時、話を思い出すために中断前に読んだ一文さかのぼって読み始めるのですが、このときその一文が前のページから続いていると、わざわざページを1枚めくらねばなりません。
しかし京極作品ではその必要がなく、すんなりと読書を再開できるのです。
細かいことではありますがこのようなところにまで注意を払えるのは、京極さん自身が本当に読書を愛しているからだろうと思います。
その愛情を感じるだけでも、この作品を読む価値は十分にあるのではないでしょうか。