tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

『スウィングしなけりゃ意味がない』佐藤亜紀


1939年ナチス政権下のドイツ、ハンブルク。軍需会社経営者である父を持つ15歳の少年エディは享楽的な毎日を送っていた。戦争に行く気はないし、兵役を逃れる手段もある。ブルジョワと呼ばれるエディと仲間たちが夢中なのは、“スウィング(ジャズ)”だ。敵性音楽だが、なじみのカフェに行けば、お望みの音に浸ることができる。ここでは歌い踊り、全身が痺れるような音と、天才的な即興に驚嘆することがすべて。ゲシュタポの手入れからの脱走もお手のものだ。だが、そんな永遠に思える日々にも戦争が不穏な影を色濃く落としはじめた…。一人の少年の目を通し、戦争の狂気と滑稽さ、人間の本質を容赦なく抉り出す。権力と暴力に蹂躙されながらも、“未来”を掴みとろうと闘う人々の姿を、全編にちりばめられたジャズのナンバーとともに描きあげる、魂を震わせる物語。

昨年のツイッター文学賞で2位となり、話題になっていたのをまさにツイッターで見ていて、興味を持ったので文庫化を待って読んでみました。
ナチスが絡む本というと『アンネの日記』とその関連本くらいしか読んだことがない私は、圧倒的な知識不足であることを本作を読んで思い知らされましたが、だからこそ読んでよかったと思えます。
ナチスに関連する用語やドイツの地名などがまったく何の説明もないままバンバン出てくるので、そのたびに調べていたら読了までとても時間がかかってしまいました。
ですが、これは必要なことだったと思います。
自分の無知と、ナチスの暴力のむごたらしさやおぞましさに軽くショックを受け、精神的にはダメージもありましたが、そのような読書も時には必要で、そうでなければいつまでも何も知らないまま知ったかぶりをしそうなのが怖いのです。


本作は小説ですが、史実を下敷きにしている作品で、ナチスに対抗した「スウィングユーゲント (スウィングボーイ)」というのは実在していたのですね。
本作ではそのスウィングボーイたちの青春と戦時下の生活を圧倒的なリアリティを持って描いています。
ナチス政権下のドイツで、スウィングは「敵性音楽」として禁止されます。
そのような状況で、ハンブルクに住む本作の主人公エディは、ゲシュタポによる監視の目をかいくぐって仲間たちとともに好きな音楽を演奏し、歌い、踊って遊ぶ日々を過ごします。
ナチスをかっこ悪い、ダサいと毛嫌いするエディですが、特に政治的な主義主張だとか思想があるわけでもなく、ただ単に自分が好きなもの、かっこいいと思うものを自由に楽しみたいというその姿勢はある意味現代的で、普遍的な若者像だなと感じました。
どんな音楽でも自由に聴ける時代に生まれた私には、音楽を制限される社会というのはなかなか想像しづらいのですが、もしも今、好きな音楽を国によって禁止されてしまったら、と想像するとぞっとします。
けれども、実際にそのような社会において、禁止されようがなんだろうが好きなものを追求しようとした若者たちがいた、という事実は、とても痛快だと思えました。
アメリカとの開戦後、エディと仲間たちは海賊版のレコードを作って闇市場で売るという商売を始めますが、このレコードが飛ぶように売れてエディたちが大きな儲けを出すくだりなどは、非常に愉快な気持ちになりました。
スウィングボーイたちだけではなく、一見ナチスに従っているように見える一般市民たちの中にも、イギリスやアメリカで流行っている最先端の音楽に飢えていた人たちがたくさんいたということだろうからです。
権力がいかに規制し実際にゲシュタポを使って弾圧しようとも、音楽を求める人々の心を変えることは不可能なのだと思います。


そうやって好きなことをやって生きていたエディたちも、戦況の悪化によってその自由は少しずつ踏みにじられていきます。
ゲシュタポの手入れに遭い逮捕され、収容所送りになったエディは、そこで収容所や強制労働の場の劣悪で悲惨な環境を目の当たりにします。
さらにハンブルクも爆撃を受け、大きな被害を受けます。
必ずしも本作の主眼は戦争の悲惨さを訴えることにはないと思いますが、それでも終盤の展開はとてもつらい場面が多く、悲しくなったり怒りが湧いたりしました。
そんな中でもいいなと思えたのは、エディが父の経営する工場で強制収容所の収容者を労働者として使う立場になった時に、収容者たちにきちんと食事を与えたり身体を洗わせたりして、できる限りまともな労働環境を保とうとする箇所でした。
これもエディとしては別に反ナチスという思想的な理由からでも、人権主義的な立場からでもなく、労働者をあまりにも劣悪な環境に置くと使い物にならなくなって生産性が落ちるという、経営者としての視点からしたことでした。
労働者たちの勤労意欲を失わせないことによってしっかり儲けを出すエディはなかなかのやり手だと感心すると同時に、論理的に考えればエディのやり方が断然正しく、労働者を地獄のような環境で瀕死の状態にして働かせるナチスが圧倒的におかしいのだと納得させられました。
暴力の嵐が吹き荒れる中でもまともさを失わず自分の頭で考えたことを実行できる人間がいるということは、敗戦という破滅に向かう国において、希望以外の何物でもありません。
そのため、最後はなんだかすっきりとした、穏やかな心で読み終えることができました。
敗戦であっても、エディたちにとっては紛れもない解放であり、自由を取り戻す道なのだから。


それにしても、21世紀の日本人が日本語で書いた小説なのに、ナチス政権下のドイツがまるで見てきたかのように生き生きと描かれているのには驚くばかりでした。
当時のドイツで実際に生活していた人が書いた小説だと言われても信じてしまいそうなくらいで、佐藤亜紀さんという作家のすごさを見せつけられた思いです。
もちろん、小説というのはそういうもので、フィクションなのですから実際に目にすることはできないものでも想像して描写しなければならないのですが、それを可能にする圧倒的な文章力を目の当たりにして、だから小説を読むのはやめられないのだとうれしくなりました。
ひとつ残念だったのは、これは完全に私の問題なのですが、ジャズについてあまり知らないために、この作品を完全に理解し楽しみ尽くしたといえないことでしょうか。
せっかくたくさんのジャズナンバーが作中に登場するのに、曲名を見てもメロディーや歌詞が浮かんでこず歯がゆい思いをしました。
ジャズが好きな人ならもっと楽しめたのでしょうね。
とはいえ、ナチスのことについて勉強にもなりましたし、読んでよかったと心から思える作品でした。
☆4つ。

『何様』朝井リョウ

何様 (新潮文庫)

何様 (新潮文庫)


生きるとは、何者かになったつもりの自分に裏切られ続けることだ。直木賞受賞作『何者』に潜む謎がいま明かされる──。光太郎の初恋の相手とは誰なのか。理香と隆良の出会いは。社会人になったサワ先輩。烏丸ギンジの現在。瑞月の父親に起こった出来事。拓人とともにネット通販会社の面接を受けた学生のその後。就活の先にある人生の発見と考察を描く 6 編!

朝井リョウさんの直木賞受賞作『何者』は、就職活動中の大学生たちを描いた作品でとても面白く読んだのですが、読んでから4年も経つので細かいところはかなり忘れてしまいました。
そのため、『何者』のスピンオフである本作については、あまり『何者』との関連を意識せずに読むことになったのですが、それでも十分に楽しめる作品でした。
『何者』の登場人物たちがあちこちに登場しますが、その人物たちのことをまったく知らなくても、特に問題はありません。
スピンオフ作品というより、完全新作の短編集という感覚で読みました。


この文庫版の解説は、オードリーの若林正恭さんが書かれています。
朝井さんの作品を最後まで読んで、解説を読んでびっくり、驚くほど若林さんの感想は私の感想と似通っていました。
特に、「むしゃくしゃしてやった、と言ってみたかった」の主人公・正美に非常に共感できたというところです。
妹が奔放に生き、両親を困らせてきた一方で、姉として品行方正に、真面目な優等生として生きてきたマナー講師の正美。
彼女が「元ヤン」を売りにする同僚マナー講師に反発やコンプレックスを抱く心理が、私にはとてもよくわかりました。
学校や社会のルールを破って周囲の人たちに迷惑をかけてきたのに、まるでそのことを勲章であるかのように誇らしげに見せびらかす有名人というのが実際にいますが、個人的にはあまり好きにはなれません。
自分が不良だとかヤンキーだとかとは程遠い、真面目な生き方をしてきたので、真面目にやっていくよりも周囲に迷惑をかける方が「いいこと」のように言われると、自分を否定されるような気がするのかもしれません。
でも、そういうことではないのですよね。
昔ワルだったことを売りにする人がいて、実際売りになり得るのは、真面目に生きている人の方が多いからなのでしょう。
人と違う部分を売りにするのは誰でも同じです。
元不良や元ヤンがそれを売りにするのは、それがその人にとって他者と違う個性だからです。
では真面目に生きてきた人の売りは何かというと、やはりそれは「真面目に生きてきたこと」ではないでしょうか。
正美は30代も半ばに入った立派な社会人ですが、まだ自分の良さを自分で認めていないところがあるのかなと思いました。
真面目な優等生で、生徒会長を務めた経験もあり、「元ヤン」のような個性的で面白い話はできないかもしれませんが、多数の人の共感を得られるのは元ヤン講師よりも正美の方でしょう。
なにしろ、世の中には真面目な人の方が多いのですから。
自分にないものを持っている人に変に引け目を感じる必要はないーーそうわかっていても、素直にそれを受け入れるのは難しく、「羽目を外してみる」道を選んでしまう正美が自分自身と重なって、息苦しいような気持ちになりました。


表題作の「何様」は、『何者』が就活生視点の物語であったのに対して、大学生を採用する企業の人事担当者の視点で描かれた物語です。
人事担当者といっても、主人公の克弘はつい1年前には就活生の側だった新人で、採用活動は何から何まで初体験という状況です。
だからこそ克弘は、「自分は他者を選別できるような人間ではないのに」という思いにとらわれてしまいます。
就職活動を通じて「自分は何者でもない」という残酷な真実に向き合ったその先に、さらに「自分は何者でもないのに人を選別しているなんて何様なんだ」という悩みが待っているなんて、社会人になるのはつらいなあと思いますが、これも克弘が自分の良さを自分で認められれば解決できる悩みなのかもしれません。
少なくとも就職活動をやって、筆記試験や面接を通過して選ばれて入社できたのですから、「何者」でなくても人に認めてもらえるような長所は間違いなくあるのです。
そもそも周りの人たちだって、そんなにすごい人ばかりというわけではないでしょう。
新人のうちは上司や先輩がみんなすごい人のように見えますが、それは彼らが年長の社会人として多くの経験を積んでいるからで、ほとんどの人は元から仕事が完璧にできたわけではありません。
また、学生時代に優秀だった人でも、社会人になってから勉強や努力を怠れば、凡庸な人に落ちていく可能性もあります。
克弘の、若く未熟な人ならではの悩みが、私には伸びしろや可能性を感じさせるものと思えて、とてもまぶしく感じました。


自分でも気づいていない自分の良さ、それこそが自分の武器になる。
そう気づく寸前であがく若者たちの姿をとらえた短編集でした。
高校生から社会人まで、主人公たちの年齢層には幅がありますが、どの短編もキラキラした部分とドロドロした部分をあわせ持った青春小説と呼んでよいのではないかと思います。
☆4つ。




●関連過去記事●
tonton.hatenablog.jp

『絶唱』湊かなえ

絶唱 (新潮文庫)

絶唱 (新潮文庫)


五歳のとき双子の妹・毬絵は死んだ。生き残ったのは姉の雪絵──。奪われた人生を取り戻すため、わたしは今、あの場所に向かう(「楽園」)。思い出すのはいつも、最後に見たあの人の顔、取り消せない自分の言葉、守れなかった小さな命。あの日に今も、囚われている(「約束」)。誰にも言えない秘密を抱え、四人が辿り着いた南洋の島。ここからまた、物語は動き始める。喪失と再生を描く号泣ミステリー。

紹介文や帯などに「号泣」だの「感動」だのといった文句が入っていると、身構えてしまって実際にはあまり泣けないことも多いのですが、本作には泣かされてしまいました。
デビュー作『告白』のインパクトのせいで「イヤミス」のイメージが強かった湊さんですが、もうそんなイメージもかなり薄れてきましたね。
本作には嫌な気分になる要素は少なく、ミステリ色も薄いですが、作者本人が実際に体験したであろうと推察されるできごとが描かれていて、説得力のある「感動」を味わうことができました。


本作に収録されている「楽園」と「約束」の2話については、「Story Seller」という新潮社のアンソロジーシリーズに収録された時にすでに読んでいました。
この2話が関連性を持つ話だということに気づいてはいましたが、どう関連しているのかがこの2話だけではよくわからず、「太陽」と「絶唱」の2話を追加した本作を読むことでようやく物語の全体像をつかむことができ、こういう話だったのかと何年か越しで伏線を回収した気分でした。
それぞれ独立した別の短編として読むこともできますが、やはり4話まとめて大きなひとつの物語として読んだ方が、強く心を動かされたように思います。
各話の主人公たちはみな日本人女性ですが、物語の舞台となるのはトンガという南太平洋の島国です。
ここに国際ボランティア隊の一員としてやってきた高校教師や、現地でゲストハウスを営む人、そして彼女らとさまざまな形で関わりを持つ人たちが登場して物語が進んでいきます。
そして、各話の主人公に共通するのが、阪神・淡路大震災の被災者であるということです。
もちろん被災の度合いはそれぞれ異なります。
肉親を失った人、友人を失った人、住まいを失い避難所生活を余儀なくされた人。
そのどれもが、心に深い傷を残す体験だったであろうことは間違いありません。
被災から何年も経って彼女たちが訪れることになるトンガが、その心の傷を癒す一助となる場所であるということも。
けれども、読者としては疑問に思うはずです、「なぜトンガなのか?」と。


その答えは最終話であり表題作の「絶唱」を読めばわかります。
そしてその答えこそが、本作の最大のテーマなのです。
湊かなえさんのプロフィールを詳しくご存じの方ならもっと早くに気づくのかもしれません。
最終話の「絶唱」は、ある作家が書いた手紙という形式をとっています。
その「作家」というのが自分のことであるとは、湊さんは一言も言っておられませんし、書かれている内容も公表されている湊さんの来歴とは若干異なる部分があります。
だから、どこまでが実話で、どこからが創作なのかはわかりません。
それでも、この話が私小説であり、湊さんご自身が経験されたことに基づいて書かれているのは間違いないでしょう。
阪神・淡路大震災」と「トンガ」。
どこで結びつくのだろうと思えたこの2つが、湊さんの中では密接につながっていて、おそらくご本人の心の奥深くにそっとしまわれていたその2つにまつわる物語に触れさせてもらった。
そう気づいたときに、湊さんの作家としての覚悟にも触れられた気がして、胸がいっぱいになりました。


あまりにも衝撃的で強烈な体験をすると、その体験について語れるようになるのに何年もかかることがある。
湊さんにとっては20年の歳月が必要だったんだなと思いました。
本作の登場人物たちが得た救済と癒しを、湊さんも本作を書くことで得られていればいいなと、思わずにはいられませんでした。
☆5つ。