tontonの終わりなき旅

本の感想、ときどきライブレポ。

2019年7月の注目文庫化情報


早くも2019年が半分終わってしまいました。
暑いのが苦手な私としては、この際夏も早く終わってくれという気分です。


今月は気になる文庫新刊は少なめですね。
6月の刊行が充実していたので、しばらく読む本には困らなさそうですが。
『ちょっと今から人生かえてくる』は『ちょっと今から仕事やめてくる』の続編か、あるいは姉妹編でしょうか?
なかなか面白い作品だったので気になります。
夏恒例の文庫フェアも始まっているので、書店で気になる本があれば積極的に読んでいきたいです。

『罪の声』塩田武士

罪の声 (講談社文庫)

罪の声 (講談社文庫)


京都でテーラーを営む曽根俊也。自宅で見つけた古いカセットテープを再生すると、幼いころの自分の声が。それは日本を震撼させた脅迫事件に使われた男児の声と、まったく同じものだった。一方、大日新聞の記者、阿久津英士も、この未解決事件を追い始め―。圧倒的リアリティで衝撃の「真実」を捉えた傑作。

評判通りの作品でした。
実際に起こった事件を題材にしたミステリで、読み応えたっぷり。
とにかく先が気になってどんどん読まされ、ドキドキしたりハラハラしたり憤ったりした挙句、最後には泣かされました。
マイ年間ベストは確実と思える傑作です。


「実際に起こった事件」とは、あの昭和の未解決事件、グリコ・森永事件のことです。
事件当時、私は子どもでした。
青酸入りの菓子がまかれたことを受け、市販のお菓子の包装が開封されると跡が残るようなものに変更されたという記憶はあります。
ですが、細かい部分に関してはほとんどまったくと言っていいほど覚えていません。
ですから、本作で事実を忠実に再現して描かれている事件を、歴史の本を読んで過去に関する新しい知識を得るような感覚で読みました。
それで驚いたのは、この事件が想像以上に私にとって身近な場所で展開された事件だったのだということです。
京都や大阪など、よく知っている地名がたくさん出てきました。
そして、子ども向けのお菓子に毒を入れるということは、言い換えると子どもを標的にした事件でもあったということ。
まさにグリコや森永のお菓子をよく食べていた私が被害者になる可能性もなくはなかったのかと考えると、今さらながらぞっとしました。
私の両親を含め、当時子育て中だった親たちがどんなに不安な気持ちになったかと思うと、胸が痛みます。
作者の塩田さんも私と同世代で、当時関西に住む子どもでした。
だからこそグリコ・森永事件に関心を持ち、小説の題材にとろうと思われたのだと思います。


そんな未解決事件の謎が解き明かされていくのですが、もちろん事件の真相も動機も犯人の正体も作者の創作です。
それでも、これが本当に事件の真相なのだと言われても納得しそうなくらい、展開に無理がなく、リアリティがありました。
丁寧な描写で少しずつ浮かび上がってくる犯人たちは、いい意味で「くだらない」と思いました。
終盤にある人物が告白する、事件に関与した動機に至っては、馬鹿馬鹿しいと思えるほどの愚かさで、思わず呆れてしまいました。
普通のミステリなら、「芸術的な犯罪」だとか「犯人の美学」だとかを描いても特に問題はありません。
ですがこの作品は実際の事件を描いていて、現実に加害者と被害者が存在するというデリケートな面があります。
変に犯人やその手口を美化したり、同情の余地があるような描き方をしていないところに、大いに好感を持ちました。
いい具合に犯人を突き放して描く作者のバランス感覚が素晴らしいと思います。


ですが、本作の主眼は謎解きにあるわけではありません。
「罪の声」というタイトルが示すとおり、犯人による脅迫に利用された子どもの声、そしてその子どもはどうなったのか、という点こそ本作最大の読みどころです。
実際にグリコ・森永事件で子どもの声が脅迫に使われたわけですが、本作で描かれているとおり、脅迫文を読み上げた子どもがその意味を理解していたとは私も思いません。
おそらく、自分の声が何に使われるのかよくわからないまま、犯人に利用された。
その子どもは、加害者側にいながら同時に被害者でもあったわけです。
未曽有の大事件に大人の都合で巻き込まれた子どもたちが、その後どんな人生を歩んだか。
本作の主人公のひとり、曽根のように、自分が事件に関わったことを知らないまま平穏無事に大人になっているということも十分あり得ますが、事件によって人生を歪まされ、苦難と悲しみに満ちた日々を送っているという可能性も高いでしょう。
もうひとりの主人公である新聞記者の阿久津は、最初こそ事件の謎を解くために取材を続けますが、少しずつ真相が見えてくると、その目は被害者に向けられるように変わっていきます。
理不尽な形で事件に巻き込まれた被害者である子どもを救いたい、明るい希望の見える未来へ導きたいという阿久津の切なる思いは、まさに今もこの日本社会で存命しているかもしれない実在の被害者に向けられた、作者自身の祈りであり願いなのです。
そう気づいたとき、作者の優しさに心を打たれ、涙がにじみました。


事件に関する描写については怖いと感じる部分もたくさんありましたが、最後はすっきり気持ちよく読み終えられました。
丁寧に事件について調べ、細かく推理を構築していき、リアルなサスペンスミステリに仕立て上げた作者の力量に脱帽です。
☆5つ。

『明るい夜に出かけて』佐藤多佳子

明るい夜に出かけて (新潮文庫)

明るい夜に出かけて (新潮文庫)


富山は、ある事件がもとで心を閉ざし、大学を休学して海の側の街でコンビニバイトをしながら一人暮らしを始めた。バイトリーダーでネットの「歌い手」の鹿沢、同じラジオ好きの風変りな少女佐古田、ワケありの旧友永川と交流するうちに、色を失った世界が蘇っていく。実在の深夜ラジオ番組を織り込み、夜の中で彷徨う若者たちの孤独と繋がりを暖かく描いた青春小説の傑作。山本周五郎賞受賞作。

佐藤多佳子さんの作品は『一瞬の風になれ』以来なので、かなり久しぶりに読むなあと思っていたら、なんと10年ぶりでした。
読んだ作品数も少ないのですが、どの物語もしっかり印象に残っているのは、それだけいい作品だったという証拠ですね。
久しぶりに読んでみて、やっぱり佐藤さんが描く青春はいいなあと思いました。
青臭くて、少々痛くて、でもすがすがしい。
すっかり青春から遠ざかってしまった私ですが、青春小説は変わらず共感し楽しめていることがうれしいです。


本作の主人公・富山は20歳の大学生ですが、大学は休学中。
実家を出て、深夜のコンビニでアルバイトをして生活しています。
そんな富山の趣味は、ラジオの深夜番組を聴くことです。
聴くだけではなくて、ネタを書いて番組あてに送る「職人」でもあります。
特にお気に入りの番組は、「アルコ&ピースオールナイトニッポン (ANN)」。
これは実際に2014年から2015年にかけて放送されていた実在の番組です。
私はアルコ&ピースというお笑いコンビは名前程度しか知らなかったのですが、ANNはもちろん知っていて、何度か聴いたこともあります。
作中で富山が番組を聴く場面になると、あの有名なテーマソングが頭の中を流れました。
高校生から大学生の頃、勉強のお供にラジオ番組を聴いていたことを思い出して懐かしい気持ちになりましたが、現代を舞台にしたこの作品ではラジオの聴き方も当然ながら現代的になっていて、ツイッターで実況しながら聴く様子などは新鮮に感じました。
昔からあるメディアも、時代が変われば形が変わることもあります。
けれども番組への常連投稿者の存在などは昔から変わらないものですし、ラジオにハマる若者像というのも、本質的には変わりがないのかもしれません。


富山は、人に身体を触れられることが苦手で、さらに女子が苦手という弱みを持っています。
それが原因でトラブルを起こしてしまい、人間関係の構築は苦手なタイプです。
けれども富山はラジオを通じて、高校時代の友人である永川や、アルバイト先のコンビニに客としてやってきた女子高生の佐古田とつるむようになっていきます。
さらにそこに、同じコンビニ店員である鹿沢も加わって、一見バラバラな4人の友人関係が成立していきます。
彼らをつなげるのはインターネット。
おなじみのLINEをはじめ、ニコニコ動画アメーバピグなど、私は名前は知っていても触れたことはないサービスもあれこれ登場し、若者たちが集い、つながりあう場所はたくさんあるのだなと妙に感心してしまいました。
そこそこ売れっ子の「歌い手」であり動画配信者である鹿沢を除いて、富山たちは決して人づきあいがうまいタイプではなく、群れたがるタイプでもありません。
それでもネットワークやラジオの電波を通じて彼らはつながり、自己を表現し、同じ楽しみを追いかけていく。
人と出会い関係を作っていくためのツールや手段が多様化した今、炎上などのトラブルもあるものの、それぞれに合った距離感で人と付き合っていくことが可能になっていて、そういう意味では人間関係に悩みを持つ人にとって、いい時代だといえるのかもしれません。


いつの時代においても普遍的な若者の悩みと、現代の若者文化が生き生きと描かれていました。
短い文がポンポンとテンポよく繰り出されていく文章にも、若者言葉がふんだんに使われていて、勢いがあり読んでいて楽しかったです。
何より、作者自身が深夜ラジオが大好きで、その愛が文章の端々からにじみ出ているのが感じられ、久々にラジオを聴いてみようかという気にさせられました。
青春小説らしいさわやかな読後感もよかったです。
☆4つ。